朽ちる私

 若返りの薬をもらった。
 母に半分あげたら、最初の半月は毎日1錠ずつ飲んでいたけれど、元来三日坊主なので途中で飲まなくなり、やがて消費期限が切れた。
けれど目元のシワは消えていた。
 私に薬をくれた隣のおばさんはいつの間にかお姉さんになってしまい、若い男と恋に落ち、出ていってしまった。
 なぜ旦那さんと分け合わなかったのだろう。
 私は今23なので、毎日飲めばいずれ赤ん坊になるんだろう。しかしそんなに若返るつもりもないので一週間だけ飲んでみた。あまり効果は実感できなかったが、なんとなく冒険心が蘇ってきた。
 冒険心にまかせて一人旅に出た。18切符の気ままな旅だ。冒険心のままに行動したので、休暇届を出し忘れた。私はクビになるだろう。
まずは海に行った。地元の男と知り合い岩陰で体を重ねた。男は自分を留蔵と名乗った。きっと若返りの薬を何ヶ月か飲んだのだ。
 次は町に行った。アダルトビデオにスカウトされた。女子高生の恰好で出演しろという。私はそこで三日働き、大金をもらった。地道な会社勤めは馬鹿らしいものだと感じた。
 次に田舎に行った。たんぼばかりがあった。たんぼで働いているのは皆若者だった。田舎の人の親切に甘え、三軒の家にそれぞれ三日ほど泊めてもらった。ど の家にも若返りの薬がケースで置いてあった。そしてどの家にも赤ん坊がいた。日本の農家はたくましい、と思った。
田舎を出てから山に行った。奥に進むにつれて人間が減った。疲れたので途中の山小屋で休んだ。そこで出会った青年と私は恋をした。片時も離れたくないと思った。
 三年ほど彼と暮らした。三年のうちに子供が二人出来た。そしてこのまま生計を立てていけるかと悩み、彼は私に、ここで小さなペンションを始めようと提案した。私もそれは素敵だと思い、賛成した。
 ところが、ペンションを経営するための話し合いをするうち、許可がいるんじゃないかしら、とか、電気やガスの工事を頼まなくちゃ、とか、その資金はどうするの、と、私と彼は幾度も喧嘩を繰り返した。二人の子供はオドオドしていた。
 結局、ペンションは現実的でないという結論に落ち着き、私たちは町に下った。
 若返りの薬を使用したため再就職する例は珍しいものでもないらしく、私も彼も就職をした。子供は保育園に通った。  
 数年経ったある日、彼が若返りの薬を買ってきた。一緒に飲まないか、と言われたが、若返ったら子供の世話を忘れちゃうわよ、と、おばさんの笑い方で笑い、でもちょびっとだけもらうわ、と言って三日間飲んだ。肩凝りが少し良くなった気がした。
 彼は日に日に若返り、やがて上の子供が中学校に入る頃、家を出て行った。お前が母親のように思える、愛せない、そう言い残して。
 やがて子供たちも家を出て行った。若返りの薬を飲んだわけではなく、そういう年齢になったから出て行ったのだ。
 私はたまに若返りの薬を隣の奥さんに分けてもらって肩凝りや腰痛を治していたが、年を取るとそれすら面倒になった。
 山で過ごした年月を懐かしいと思った。
 母の墓参りを済ませ、子供たちに手紙を託して山に登った。かつて軽々と歩いた道は険しく、私は何度も休んだ。
 いつのまにか朽ち果てていた山小屋に辿り着いたのは家を出て二日経ってのことだった。老いた体に野宿は厳しかった。
 かつて彼と愛し合ったベッドは既に腐っていた。けれど、この老いたからだを休ませるには充分だった。
 私は腐り切ったベッドに横たわり、静かに目を閉じた。二日かけての山登りに疲れた体はもう動かなかった。ふと、海の留蔵を思い出した。上の子供はもしか して留蔵の子供だったかもしれないなあ、と思うと少し可笑しかった。朽ちた山小屋にはあちこちから冷たい風が吹き込んだ。やがて寒さも空腹も忘れた頃、私 は山小屋の中で朽ち果てた。
 腐ったベッドを腐った私の重みが壊した。
 私とベッドはいつしかひとつになり、キノコや雑草が生えて来た。
 風雨の中で山小屋も崩れ、私とベッドを押し潰した。
 その隙間からいろんな植物が背を伸ばした。
 朽ちた私はやがて、青々とした山の部品になった。