彼岸花って球根植物なんだへー。え?じゃあどうやって増えるの?からの、受粉なしに増えて全草有毒って潔癖の女子みたいだなっていう。なんかそういう潔癖の呪いをかけたくなって思い浮かんだ。
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彼岸花は日本海の無人島にだけ生えている種で、酔狂なお金持ちが庭に植えるの。花弁からは微弱な酸性ガスが出ており、鳥や虫を寄せ付けない。箱入りで蝶よ花よと育てられたお嬢様は殊にその花を愛して大切にしていた。気高い花なのだと言って丁寧に扱った。
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お祖母様からその花を持ち込んだ曽祖父の話を聞き、お前もこの花のように気高くいればいずれ見初められて良い家へ嫁に入るだろうと聞かされる。お嬢様は同じ年頃の女の子と交わらず大人の中に入ることを好んだ。気高く美しくあろうと務め、卑近な学友など求めなかった
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お金持ちの家には政財界の重鎮や若き官僚の卵、実業家が出入りしていた。お嬢様はみだりに人前に出ることをよしとせず、招かれた時だけ顔を出した。そんな風にひとり、または身内の中だけで過ごすことが多かったので、お嬢様は随分夢想家に育った。望んだ通り気高いのだがあんまりに浮いていた。
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良家の子女というのは夢見がちすぎても良くはなく、心配した父親は社交の場に娘を出す機会を増やした。お祖母様は早くに虫につかれたら花も咲くまいと反対したが、進歩的な考えの父は聞く耳を持たなかった。お嬢様は年上の高貴なお嬢さんたちのお茶会に混ざるようになった。
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お姉様方は薔薇で棘がある。棘はあるけど花弁に虫が寄る。お姉様方はその虫は選ばれた虫なのだとして、選ばれた虫だけに寄らせるのだとして誇らしげだが、お嬢様からしてみれば下賤だった。お姉様方は案外簡単に虫をつけていた。お嬢様は鳥も虫もよせつけないあの彼岸花のような自分を誇った。
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ところで彼岸花は東アジアに広く分布し強く育てやすい植物である。それがなぜこの種は日本海の、あの小さな島にしか咲かないのか。またなぜその島で絶えることがないのか。無論その島以外では、環境に配慮しなければ育たないからである。通常の花が出さないガスを生成するようになったのも自己防衛だ。
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その島は数百年前活動を終えるまで長い間火山島だった。が、長い活動期間に人が寄り付かなかったわけではない。歴史の中で人が住むこともあった。最初にそうして人の手または鳥によって運ばれた球根は、現在広く分布する種と大きく違わなかっただろう。毒はあってもガスを出しはしなかったと思われる。
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恐らくは否応なしに移住した人の手によって島に渡った花は、時折噴き出す溶岩、灰、熱風、岩石、硫黄に耐え、順化していったのだ。そして外敵から身を守るために火山を模して、ガスを吐くようになったのではないか。ーーー曽祖父に付き添って島へ渡った植物学者が文献にそう残している。
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*毒が球根以外殆ど残っていないほうがそれっぽい。土地が脆いので地中に敵が少なかったが飛来する敵から身を守る必要があったと。だから普通の環境では茎が弱点となってしまう。
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薔薇のようなお姉様方と親しくするうち、薔薇ではないものも混ざってくる。ダリアと呼びたい女は賤しい生まれにも関わらず集まりに顔を出す。彼女は猛勉強と厚化粧で上流の顔をし男たちを誑かすのだった。上流のお姉様方はそれを面白がりまた頼もしくも感じ何かと彼女を立てるのだ。
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お嬢様もダリアを見下しながら節度ある社交婦人として3回に1回はお茶をした。その1回が活動家の集まりで、自由を謳う彼らに素よりロマンチストのお嬢様は胸を打たれて足繁く通うようになる。殆どの男はお嬢様がまだ若いこと、無垢であることから敵意も見せず逆に近づきもしなかった。
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しかし毒を避ける生物がいれば、毒を栄養に食らう生物もいるように、お嬢様に近づく男がいた。これは真実お嬢様の又従姉妹に当たるが、親の代に勘当を受け零落している。容姿に恵まれ気品を残しながら日々の肉体労働で体は鍛え抜かれていた。健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らず、非道な男だった。
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お嬢様は一族のよしみで心を許した。一族を離れ活動家であるのも気高い振る舞いに見えたのだ。実際のところ男は女に養ってもらうために活動をしているのだし、界隈で女を孕ませてはのらりくらりと逃げているので評判は散々だった。そのことを周りがうら若いお嬢様に遠慮して伝えないのもいけなかった。
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あっという間にお嬢様の体は恐怖と恥辱を植え付けられた。お嬢様は二度とその活動に顔を出さなかった。男はお嬢様が一族に活動を告げ口しそうだから口止めしたのだと仲間に言い張った。お嬢様は屋敷にこもっていたが月のものが来なくなったことに気がつくと外出を増やし、毎日彼岸花を切っては活けた。
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変化に気がついたのはお祖母様で、わけも聞かずお嬢様を連れて山奥の旧邸に引っ込んだ。旧邸は前世紀まで使われていたが今は夏場の避暑に使うのみで電気もない。古い使用人が近くに住んで世話をしているが普段は人通りもない寂しい場所である。そこでお祖母様は事情を聞いて泣いた。
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不憫で泣いたのではない。止めるのを聞かず世に出した息子の軽率さと、人を疑わない孫の浅はかさを嘆き、あれほど大切に育てた花が枯れてしまったことを悔しがったのだ。お嬢様は土下座したが覆水盆に返らずでお祖母様の穢らわしいものを見る目に変わりはない。彼是試したが流れることはなかった。
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臨月となってお嬢様は一人で育てる覚悟を決めるのだが、苦労して産み落とした直後赤ん坊は産婆に口に綿を詰め込まれ首を絞められて死ぬ。死体はすぐに庭に埋められお嬢様も心労と無理がたたって数日死の淵をさまよう。何とか回復したものの声が出なくなっていた。それから数年お嬢様は旧邸で過ごした。
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お祖母様の死後、女が1人で暮らすわけにもいかず、また良い頃合いとしてお嬢様は嫁に出される。しかし幼い頃に夢見たような立派なお屋敷ではなく年のいった地方の豪農の後妻としてだった。傾きかけていた家にとって最早若くもなければ生娘でもない娘を食わせてくれるならと必死の縁談だった。
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嫁入り先は子供達も十分に大きく働き手として求められたのではなかった。かつて見下していたダリアよりも薔薇のお姉様方よりもお嬢様はただの娼婦となったのだった。それでも重労働を求められず、にこにこ笑っていればよいのでお嬢様には簡単だった。長く子供はできなかったが数年後身篭った。
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夫は年が離れていたし下品で乱暴者だったが生まれた子どもを溺愛した。さてその田舎には害獣避けに至る所に彼岸花が咲いていた。勿論ガスを生成しない普通の彼岸花である。お嬢様はいつしかあんなに愛したあの花たちよりも、このどこにでも咲いているありふれた彼岸花を愛おしく思うようになっていた。
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子供を育てるうちに声が戻り義娘も喜んでくれた。夫は声が出るなら楽しみが増えるという工合、姑も舅ももういないのが何より良かった。やがて兄弟も生まれお嬢様は三男三女の母となった。一番下の娘が歩き出した頃である、実家の父親が危篤と連絡が入った。もう継ぐ者も継ぐ財産もなくなっていた。
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帰ってみれば屋敷も庭の植物も全て売ってしまっていた。父親はすっかり農家の女になったお嬢様を見て落魄よと泣くと死んだ。電気の通らない旧邸で葬儀を行うことになりお嬢様は喪主となったがいざとなれば己の境遇が浅ましく思え叔父に頼んだ。あの数年を過ごした旧邸に行くのは気分が重かった。
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葬式に出ないわけにもいかず旧邸に入りてきぱきと炊飯の指示をしたがその振る舞いが下賤にうつったようでかつて薔薇だった婦人らに笑われているような気がした。公には病気で臥せったことになっているが、恐らく誰もが知っていた。その中の1人にあの男はお祖母様の指示で殺されたことを耳打ちされた。
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1人だけ連れてきていた一番下の娘に動揺が伝わったのか、環境が変わった疲れなのか、通夜の晩高熱を出して寝込んだ。お嬢様は必死の看病をするが、すればするほど生まれておぎゃあとも言わず死んだ子のことが思い出される。祟りではないかとも思う。帰ろうとする住職にこっそり打ち明け読経を頼んだ。
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お嬢様は埋めた場所をうっすらとした意識の中でしか覚えておらずお祖母様も教えてくれなかった。恐らくこの辺りと住職を招いてお嬢様はぎょっとした。そこにはあの彼岸花が群生していた。あの家にだけ咲いていた曽祖父のコレクション。庭ごとあらゆる苗も売払ってしまったと聞いていたというのに。
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それもあの庭に咲いていたような僅かな量ではなく一帯を埋めつくさんばかりに咲いていた。住職は酸に当たったのか咳き込む。お嬢様はとりつかれたように花の根元を掘り返す。大人の男のさして古くないだろう指が見えてお嬢様は声を失うと花畠に飛び込んだ。住職は経を唱えながら後ずさり遠目に眺めた。
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後に住職が語ったところによると、お嬢様は花に吸い込まれたという。実際には何らかの理由で毒性が強くなったガスによって溶けていったのだろうが、まず顔が消え、首が消え、肩が腕が胸が消えたという。あたかも花に吸われるように。足はしばらく残っていたが、それも花弁が落ちると消えた。
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嫁ぎ先から骨を送れと言われたが骨もなくなっていたので出来ず、おおかたお嬢様は田舎暮らしに嫌気がさしていて住職は逃走を手助けしたのだろうと噂された。一番下の娘は回復したがそこに居合わせたのも縁だということでお嬢様の従兄弟で後継に恵まれなかった親族に引き取られた。
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田舎に残された子供達は随分不自由な思いをしたが成長しそれぞれ田畑を持ったり町へ出た。実業家一家に引き取られた末娘は賢く美しく育った。大きな時代の変化を受けたためか元来の性質か、娘は恋人を生涯作らずただ植物の研究を続けた。年頃をだいぶ過ぎてから親族から娘を養子にもらい育てたという。
(2015/9)