教員となり、中学校に再び通うようになって、5年がたちました。
最初の2、3年は、緊張も解けず、生徒に馬鹿にされないように、先輩教員に叱られないように、とどきどきしながら教えていました。
いえ、教えていたというよりも、ただただ必死に仕事をこなしておりました。
けれど、5年目になってようやく、「先生」と呼ばれることにも、ある一部の生徒(だと、私は思っているのですが、実際は一部どころではな いのかもしれません)に、「イケスカナイ教師だ」と眉をひそめられることにも、古参の先生方に「きみはもっと生徒のこころにふれていきなさい」と注意をさ れることにも慣れてきました。
そうして心に余裕がうまれたからでしょう、近頃気がついたのです。
きっかけは、因数分解の問題を質問に来た生徒の言葉でした。
彼女は、仮にAとしますが、そのAは、私に対して比較的好意的な態度を示してくれています。「何はともあれ教師が好き」というタイプです。私もこのタイプだったように思います。だから教員を目指そうと思ったのでした。
特に私は、自分で言うのもなんですが、まだ若いほうです。若い教師というのは、大抵味方についてくれる生徒がいるものです。
彼女は私に、因数分解の、ちょっと難しい問題についての説明を聞きながら、ふと不満そうな顔になって言いました。
「先生、どこ見てるの?」
「え?」
私自身そうであったように、気を引きたいがための根拠のない戯れだと思いました。それで冗談めかして答えたのです。
「もちろん可愛い生徒です」
けれど彼女は少し眉をひそめるとはっきりと頬に空気を含ませて
「違うよぉ、先生、あのへんの、すみっこ見てる」
そう唇を尖らせたすぐあとにぷっくりと膨らんだ頬が破裂でもしたというように噴き出すと、後ろに座った女子生徒を見て
「先生って、いっつもすみっこ見てるよね」
ふふふ、と、この年頃の子に身に付き始めたあどけない色っぽさで笑いました。
その時は、「やだあ、先生の熱い視線を感じないなんて」とわざとらしくしなを作って答えました。そして実際、私は授業中、生徒を見るように心が けているつもりでした。先輩教員方から「教育とは、生徒の目をみて行うものだ」「生徒のこころをとらえるためには、生徒の目を見よ、そうすれば犯罪を起こす子供などいなくなる」と熱く教えられていましたから。
だから、そのように心がけていた私には、彼女、Aの言ったことは半分程度しか頭に入りませんでした。
けれどその日の夕方、翌日の授業準備をしながらふと授業中の風景を思い出そうとすると、思い浮かぶのはたしかにすみっこの風景でした。生徒の顔は、集合写真をおぼつかない指先でなぞるようにしか 思い出せないのに、教室のすみっこは、風が強いとカーテンがなびいて掲示物をたたくこと、その時に、床のほこりがほんのすこし浮くこと、カーテンか らこぼれた日差しが、掲示板を白く光らせること、教室の一番すみっこの床の板には小さな黒い穴があいていること、一番すみっこの、一番上のロッカーには、 誰かの英和辞典が置きっぱなしになっていること・・・ ありとあらゆることが、色と動きを持って具体的に思い浮かぶのでした。
その理由を私は少し考えました。そして、たまたま目がいきやすい位置だからだろう、と落ち着きました。それ以外の理由なんて、思いもつきませんでした。
私に他の理由を思い当たらせたのは、職員室で出た、ある生徒の話題でした。
それは、一学期の中間テストのあとのことでした。
職員室では、どの生徒が成績がいい、とか、そういう話題がされていました。その中に、彼の話題が出たのです。仮に、Bとしておきましょう。Bは、今春入学したばかりの生徒です。私は受け持っていませんが、場の雰囲気に合わせて、その話を聞くとはなしに聞いていました。
「ほら、あの子、英語でも98点だった」
「予想もつかなかったねぇ。あんなおとなしい子が」
「そうそう、休み時間は、いつも教室のすみっこでいてさ」
「あの子、ともだちもいないんじゃないのか?いつの世も、成績良いイイコチャンは友達ができないもんなのかねぇ」
「いたよ、ぼくが中学校の時にも。普段目立たないんだけどね、ここぞというときに力を出すんだよ、きみんとこにはいなかった?そういう子」
と、話題をふられて、私は「そうですねぇ」と考えるふりをしました。
その時私は採点をしていて、それがまた、答は合っているのに計算過程が間違っている子でして、これは一体どう判断したものか、と悩んでいた最中でしたから、彼らのおしゃべりも少し落ち着かないものと感じていました。それでも、考えもせずに無視をして、その場の雰囲気を壊すと言うのはどうにも性に合いません。
考えるふり、をしました。「あんまり覚えてないですねえ」という用意された言葉は、胸のあたりで準備されていました。ところが、ふと思い当たったのです。
「いました、いましたよ、一人。いつも教室のすみっこにいました。中学校の二年生の時に同じクラスで・・・そう、いつもすみっこにいたんです」
---アカサカくん。
その名を思い出しました。
「アカサカ」にどういった字を当てるのか、忘れてしまいました。中学校のアルバムを見ればわかることですが、そこまでするほどのことではありません。
そして彼のことを思い出すと、連鎖的に、私がいつも教室のすみっこを見る理由がわかったのです。
私は、アカサカくんを探していたのです。
告白すると、私は彼が好きでした。中学の頃の、甘酸っぱい好意を彼に寄せていました。 その思いは伝えられることもなく、いつのまにか消えていきました。
それくらいに、語るほどのものでもない、小さな記憶でした。
彼のことで眠れない夜を過ごしたわけでもなく、彼のことだけを考えていたわけではなく、私は標準的にクラブ活動に精を出し、標準的に勉強を嫌がり、標準的に勉強をこなし、標準的にテレビの話題に花を咲かせました。
華々しい思い出は、専ら友人のこと、クラブのことにあって、その頃の私の恋愛感情というものは、薄っぺらなものでした。恋人が出来た高校時代のことなら、いつでも思い出すことが出来ました。けれど、中学時代の、小さな恋を思い出すことは、ほとんどなかったのです。
…いえ、あれは恋ではなかったのかもしれません。
アカサカくんはいつも、すみっこにいました。
目立たない少年でした。
カーテンが風でなびいて、日差しが教室のすみっこを白く照らすと、彼は消えそうに見えました。
透明な少年でした。
他の少年たちが休み時間にグラウンドでサッカーをしている時も、彼は教室のすみっこにいました。
テスト前、教室中が机に向かっている時にも、彼は教室のすみっこに座って教科書を読んでいました。そんな彼を、クラスメイトは好奇の視線で見ていました。勿論、標準的な私もその一人でした。
彼は特に美しいわけでもなく、少し鼻の骨が出っ張っていることをのぞけば、何も語ることのない少年でした。テストは大抵卒なくこなし、けれど決して、とても良いというわけでもありませんでした。
けれど、風になびいてふんわりと浮いたカーテンからこぼれる日差しの中の、或いは、窓に打ちつける雨をながめる彼を探すのはいつしか私の習慣になっていました。
一度だけ、彼と話したことがあります。
体育祭の片付けの時でした。
体育委員だった私は残ってグラウンドにトンボをかけていました。
9月の強い日差しで小麦色に焼かれた肌を、西日が照らしていました。トンボかけが終る頃には、グラウンドに人はほとんどいなくなっていました。皆適当な理由をつけて帰って行くのでした。
けれど私は、委員会の先生と親しかったこともあり、最後まで残っていました。
「先生、こんなに遅くまで残ってたんだから、ジュースおごってよ」
と、私が言うと、その先生は、白い歯を見せて笑い、
「他の先生には内緒だぞぉ」
とジャージのポケットから100円玉を一つ、私の右手に握らせました。
冗談半分だった私は驚いて、「いいの?」と言いますと、先生は「遠慮するな、いくら先生が貧乏だって言っても、100円くらいはあるぞ」と胸を反らせました。
本当にいい先生だったと思います。先生は、現在市内の別の中学校にいらっしゃいます。
アカサカくんと、会話らしい会話をしたのは、その後のことでした。
学校の前の通りを右に曲がると、銀杏並木が広がっており、その一角に自動販売機がありました。少々柄の悪い子などは、通学にお金を持ち込み、そこでジュー スを買ったりしたものでしたが、私はそのような生徒ではありませんでしたから、下校中にジュースを買う、などということははじめての事でした。
少し周りの様子を伺いながら、自動販売機のお金を入れる口に、100円玉を差し込みました。せっかくの機会なので炭酸飲料が欲しい気がしましたが、後ろめたさがあって、部活の大会帰りに顧問が差し入れてくれるスポーツドリンクを選ぶと、ボタンを押しました。
ガチャン。
取り出し口から缶を取り出した、その時です。ふっと人の気配を感じたのです。
西日が、色づき始めた銀杏並木に陰影を与える通学路のすみっこを、アカサカくんが歩いてきました。
その時、私とアカサカくんの距離は、少し離れていましたが、会話をするのには何ら支障はありませんでした。
少し心臓が早くなる気がしました。それは、恋焦がれる少年に会ったからではなく、下校途中に、禁止されているはずの買い物をしているところを見られたから、というほうがより確かでした。私のアカサカくんに対する思いというものは、それほど不確かなものでした。
何を話したのか、よく覚えていません。
「先ず弁解をした」と思えば、そのようでもあるし、「何気ない挨拶を交わした」と思えば、そのようでもあります。
けれど、私はどういう経緯からか、彼に聞くことに成功しました。
「どうしていつもすみっこにいるの?」
さぁ・・・と、彼は、決して私と視線を合わさずに続けました。
「さぁ・・・消えてしまいたいからかな」
それだけ言って、彼は消えました。
いえ、消えたのではなく、私を通り過ぎて行っただけなのですが、その時私は「キエテイク」と思ったのです。
彼は実際には、消えることはありませんでした。
すみっこにいただけでした。
中学二年の終る三月の半ばまで、ずっとすみっこにいました。
そこが彼の居場所だとでも言うように。
そして時々、私たちのからかいの対象になりながら、居つづけました。
彼は時々空を見上げました。
眩しそうに目を細めました。骨が出っ張った鼻が、白く光りました。
時々うっすら笑いました。人はその笑顔を気味悪がりました。私もまた、いつしか、彼を気味悪がるようになりました。
「消えてしまいたい」だなんて。
ジサツガンボウのようなその言葉を、私はかき消そうとしていました。自殺だなんて願ってはいけないことなのです。普通に生きていくためには、そんなことは願わないほうがずっといいのです。
当時は中学生の自殺が多発していた時期でもありました。ですから私は、その言葉をその通りに受け止めていました。
アカサカくんには実際に自殺願望があったのかはわかりません。彼は中学の三年間を全うすると市外の高校に進学しました。その後のことはまるで知りません。
しかし、あの頃よりも大人になった私はこう思います。彼は、すみっこで消えようとすることで、消えることなく自分を主張していたのではなかったのか・・・風を感じて、光と遊び、「ひとり」を演出するこ とで彼は人から好奇の目を集め、そのことで「ひとり」ではなくなろうとしていたのではないか・・・
けれどその頃の私にはそうは考えられませんでした。「消えてしまいたい」と願う性根の暗い少年を拒否しました。私は「普通」でいたかったのです。
普通でいたくて、普通の話をしたかった私は、彼を好きでいた時間を抹消しようとしました。
おりしも、クラブで大会があり、そちらに気持ちを傾けることで、彼への思いは薄れていきました。
そうして彼は、アカサカくんは、私の心から「消えて」、いえ、「消されて」いきました。
そう、私は「消した」と思っていたのです。
朝、いつものように私は教室へ向かいます。生徒になめられないように、すっと背筋を伸ばして歩きます。この歩き方を、「綺麗」と言って誉めてくれる女生徒もいます。
その時私は少し、気持ち良くなります。
教室を見渡します。
生徒が全員いるか、確認します。
名簿を見て、生徒を呼びます。
低い声や高い声、小さな声や大きな声で、生徒は返事をします。
全員います。
「おはようございます」
と、すみっこに言います。
誰もいません。
それから慌てて、生徒の方を見ます。
生徒は口々に「おはようございます」と返します。
「今日の日直は・・・」
と、すみっこを見ます。
誰もいません。
慌てて、教室を見渡します。
生徒がいます。
一番前の席に座っている、例の少女、Aがくすくす、と笑います。
「先生、やっぱりすみっこ見てるじゃない」
その言葉は、私を鋭く突き刺しました。
消えたのではなかったのです。
決して消えはしなかったのです。
「消えてしまいたい」と望んだアカサカくんが、決して消えなかったように。
「消してしまいたい」と望んだ私の中の「アカサカくん」は、決して消えては居なかったのです。
すみっこです。
すみっこにいただけだったのです。
すみっこで、その存在を隠しながら、けれど自分を強く主張していたのです。
私の中で「消され」ながら、「消される」存在である自分を、私に訴えていたのです。
私は、アカサカくんを「消す」ことで、彼を「すみっこ」に居させ続けていたのです。
「そんなことないわ。先生、みんなのことを見てるのよ」
少し大げさなくらいに言う私を指して、Aは笑います。つられて教室の全員が笑います。
「先生、僕らのこと好きじゃないんだ」
誰かが冗談まじりにそう言います。私も頬を緩ませて、笑顔を繕いながら、「みんなのこと大好きよ」と言いながら教室を見渡します。
すみっこを見ます。
少し空いた窓から風が吹いて カーテンがゆらゆら ゆらゆら
ロッカーの上に英和辞典があります。
掲示板にかかった学年通信の、右下隅の画鋲が取れています。その画鋲は真下の床に、針を上に向けて転がっています。
誰かの体育館シューズが片方、その隣に転がっています。
カーテンからこぼれる日差しが影を広げたり狭めたり
その影が一瞬 カーテンと同化して
・・・アカサカくん
に見えました。
勿論、気のせいです。
私はすみっこを見つめています。
すみっこを探しています。
アカサカくんを探しています。
「ほら、やっぱり、先生すみっこが好きなんだ」
箸が転げても笑う年頃のAが、お腹を抱えて言うのでした。